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Mar 16, 2010

動画をアップロードしました。#6

最近知り合った若い美人女性に「Shopのお兄さんみたい」と言われて意識しまくってるHemakovichです。

またYouTubeに動画を2つアップロードしました。
今回は全く同じ動画です。カットも音楽もほぼ同じ。
ただ画質や色合い、エフェクト処理が異なります。
今回の作品はこれまでにストリーミングで公開したことは全くありません。
ただ例のごとく、僕の他のビデオクリップ作品にソースを頻繁に使いまわしています。




ご面倒でなければYouTubeの広い画面でご鑑賞下さい。
こちらをクリック




こちらをクリック


お願い:YouTubeでご鑑賞される場合はスクリーン下部に「480p」とか「360p」というボタンがありますが、PCで通常のブロードバンド(ADSLなど)でご鑑賞される場合は「480p」にしておいてください。


この動画は1995年~1997年頃に撮影されたもので、パソコンでノンリニア編集を行ったのは2002年です。
S-VHSで撮影したものをDVビデオにフォーマットしています。再生デッキが古かったのでノイズが多く見られます。
PC編集したものとしては3作目のクリップで、Twilight zone を完成させた直後に作ったものです。製作期間も割と早く1週間ぐらいで完成させたように思います。

前回も触れましたが、1997年頃に初めての自主ビデオ映画『カタストロフィ』を作りましたが、このクリップはその作品の一部を抜粋したものです。
だから前回upした catastrophe と同じカットが多く含まれます。ノンリニア編集での製作時期はそれよりも一年ほど早いですが。
このビデオクリップに関しては、いろんな他の作品にシークエンスを抜粋・引用していますが、元々はすべてこのクリップから派生したもので、同じシークエンスを扱ったものの中で最も早く製作した作品です。

今回YouTubeにupするにあたって、最近再編集を行ない明るさやコントラスト、各種エフェクトを施しました。それが Brazil です。
ただ再編集を行っていない2002年に作成した状態のままの方と、果たしてどちらが見る側にとってベターであるか迷いました。だから再編集を行ったものと、2002年に編集した状態のままのものと、両方をupしたわけです。後者の再編集なしのクリップが Brazil 2nd ver です。

主な再編集の要点は明るさ・コントラストの画質です。
2002年に製作した段階では僕のPCディスプレイはブラウン管(CRT)でした。その翌々年ぐらいに液晶パネルをモニターに使うようになったわけですが、ブラウン管と液晶パネルの画質の違いは動画編集においても画質の差に影響を蒙るわけです。
具体的には、ブラウン管で編集したものを液晶パネルで見ると映像が薄暗くコントラストがぼんやりと見えます。絵のきめ細かさに欠けシャープが甘い。
今回はこの点を再編集で重点的に改変しました。

あともう一つ、今回のクリップでは8ミリフィルムで撮影した映像があるのですが、そこにかなりのエフェクトを加えました。
電車内の場面で8ミリカラーフィルムの映像が出てきますが、これらはフィルムカメラで撮影したものを映写機で投影し、それをビデオカメラで撮影したものです。
ブラウン管画面だと8ミリフィルムの映像は馴染みやすく違和感が少ないのですが、液晶パネルだと色合いが滲み、画像の輪郭が崩れて相性が悪いように感じられます。
だからエフェクトにおいてもシャープを多くかけたり、ノイズを除去するような映像処理を多く使用しました。
ただ、YouTubeにupする段階でDV映像をMPG圧縮するのですが、mpg4にエンコードした際にこれらのエフェクトはあまり目立たなくなりました。


2002年に3度目のノンリニア編集の練習素材としてこれを作った時、僕はそれまでよりも多くの編集ソフトを使用しました。
具体的にはAdobeのソフトを使い始めたわけで、Adobe Photoshop、Adobe Premiere、Adobe After Effectsなど、専門的なヴィジュアルソフトを使い始めました。
特にAfter Effectsは画像の合成には欠かせないソフトで、この作品では主に後半のシークエンスで、男性の顔に多くの文字がスクロールするカットなどで初歩的に使っています。ただしPhotoshop以外のAdobeソフトは全てwindow95時代の頃の旧版でしたが。


このビデオクリップを作る以前は、ただノンリニアでカット編集したものに音楽を載せて雰囲気をつけるという作り方でしたが、この作品は最初からMusic PVのイメージを作る目的で製作しました。
だからコーネリアスの同曲はPVとして作りやすいものとして動画編集より先にサントラを決め、すべて音楽とシンクロするように作りました。

ただ、コンセプチュアルな要素は今回のクリップには全くありません。すべては手持ちの映像で曲のイメージに合致すると主観的に考えたものを選んだに過ぎません。
だからテロップで漢字が現れたりするわけですが、それは多分当時の私がこの曲にオリエンタルな雰囲気を感じ取ったから用いたわけで、あまり深い意味はないです。


何度も申し上げた通り、このビデオクリップは僕のビデオ映画の抜粋ではあるのですが、実際には映画本編で使用しなかったカット、NGカットやロケ撮影の合間に遊びで取ったOFFショットが多く含まれているんですね。
例えば2分53秒辺りからクリップ内の女性がカメラを直視しているカットが現れますが、これらなんかはロケ撮影を終えてから皆で喫茶店に入ったときに店内で気まぐれに彼女を撮影したものなんですね。
だから他のシークエンスとは全く違って笑みがこぼれるリラックスした表情であるわけです。
こういうソースは残しておくと後でいろんな使い道が出来るわけで、実際僕がこのノンリニア練習用ビデオクリップに使ったりしてるわけですが。

僕は実際に本編で使ったものよりも、日常場面に帰するところで撮影したこういう素材を割りと好んだりします。
なぜなら出演してくれる人たちは素人ながらそれなりに一生懸命イメージを凝らして表現をしてくれるわけですが、彼ら自身の印象深い動きや仕草ってのは演技というものをしていない場面で不意に現れたりするように思うからです。
そこらへんが演じ手のプロと素人の違いなのかもしれないですが。
こういういわゆる自主映画なんかに立ち会ってくれる人たちというのはモチベーションが高い人たちが多いわけです。だから彼らは撮影の場面でもいろんな自分の中のものを出してきてくれる。
ただモチベーションの高い人たちがテンションの高い撮影という時間の中にいると、その合間の日常的なひとこまの中でもその余韻が残り続けているわけなんですね。
だから不意にカメラを向けられても大胆な気持ちがカメラに向かってくるというか、そういうものが現れる。

いろいろな種類の映像を人間に関して撮影していると、映像というのはどのような用途であれ、すでに様々な意味でのシークエンスを構成しているんじゃないかと僕は思ったりします。それが例えば運動会のビデオであったとしても。


Mar 5, 2010

動画をアップロードしました。#5

最近Facebookでインドネシア人との国際親善に励んでいるHemakovichです。
また動画をYouTubeにアップロードしたのでお知らせします。
今回は日を置いてUpした動画2作分です。
以前の私のストリーミングサイトをご存知の方なら見て頂いたこともあると思いますし、
私の全動画に頻繁に使い回しているシーンが多く含まれています。

まずはこちら。





ご面倒でなければYouTubeの広い画面でご鑑賞下さい。
こちらをクリック

YouTubeでご鑑賞される場合はスクリーン下部に「480p」とか「360p」というボタンがありますが、PCで通常のブロードバンド(ADSLなど)でご鑑賞される場合は「480p」にしておいてください。


この動画は1995年から1997年の間に撮影したものです。PCでのデジタル編集を行ったのは2002年です。
画質はS-VHSからのものですが、字幕の画面などはPCで直接製作しました。

僕は大学生だった1997年頃に初めての自主制作長編のビデオ映画を作りました(それ以前に8ミリフィルムで長編を作っていますが)。その映画のタイトルが『Catastrophe カタストロフィ』。この動画はそのビデオ映画から抜き出したものであり、映画のタイトルが現れる前の冒頭部分のシーンの一部であり、それを編集したものです。

2000年代初頭にパソコンを買ってノンリニア編集が出来る環境を整えた時、僕はアナログビデオによるかつての自主制作映画を全カット全シーンをデジタル化して新たに一から再編集して、作品のデジタル化を行おうと考えていました。
そのために幾つかのPV風のビデオ作品をノンリニア編集の練習用に製作しました。その幾つかを既にYouTubeで皆さんにお見せした訳です。
幾つかのPVを製作後にようやく自主制作長編の再編集に取り掛かったわけですが、プライベートな諸事情により頓挫して休止していました。
今回Upした動画は頓挫する前に出来上がっていた再編集の一部です。つまりタイトルが現れる部分と後の数分程度まで再編集が仕上がっていたわけです。

YouTubeにUpするにあたって、動画冒頭の外国人の女性のカットは新たに作って付け加えました。
また作品内でナレーションのような音声がありますが、これは僕がポエトリーリーディングしているんですが、再生時間を早くしたりエフェクトを施しました(だから実際の声とは結構違います)。
ナレーションが語られる部分でBGMが流れますが、これは今回付け加えたもので、ピグミー族の声楽です。エコーなどを効かせて音域を広げてあります。

この女の子が走り回ってる映像ですが、僕は今までに作ったPV作品にかなり頻繁に使いまわしています。Perspective of life などがその一例ですね。
この映像は元々Hi8かなにかの8ミリビデオテープで撮影したもので、それを暗闇のTV画面に再生させてS-VHSのカメラで高感度撮影を行ったもので、いわば手動でエフェクトしたものです。
『Catastrophe』を公園でロケ撮影していたとき、たまたまそこで遊んでいて居合わせた女の子を偶然撮影した映像です。
この女の子が走り回って喜んでいるのは生まれて初めて「自分の影」に気づいたからなんですね。走ったり身体をくねらせたりどんな動きをしても自分の影に反映されることを知って喜んでいた、という光景なのです。付き添っていたこの子のお祖母さんがそう教えてくれたのですが。この子も今は中高生ぐらいの女性になっているわけですね。

また列車の車両内みたいなカットの場面に出てくる男性は、以前ご紹介した "For wedding ceremonies" に出てくる男性と同一人物です。大学時代の友人ですが、この人が私の自主制作映画『Catastrophe』の主演なのですね。8ミリフィルムで作った処女長編にも主演で出てもらいました。
また相方の女性も主演であるわけなのですが、この人を撮った映像も Perspective of life を始め、いろんな作品に引用してます。なんていうか、個人的にフォトジェニックなルックスをなさっていたんですね。

なお私がナレーションで使った詩はリチャード・ブローティガンの一篇です。少し改変したかもしれませんがほぼ同じ訳詩を朗読しています。

余談ながら。
この作品はPV風の練習ビデオ作品を4~5作品作り終えた頃に編集しているのですが、単なるカット編集だけでなく、映像やサウンドのエフェクトや、アニメーションっぽい動画製作も出来るようになっていました。当初はVaioのオモチャみたいな編集ソフトで始まっていたんですが、これはAdobeのAfter Effectを使っています。これはかなりの部分で映像表現に飛躍をもたらしました。ただ僕が使っていたのはwindows95ぐらいのバージョンでしたが……。



それで次にご紹介するのがこの動画ですが。




YouTubeで見るにはこちら


ご覧頂ければお分かりになられると思いますが、この動画のソースは先程ご紹介した"catastrophe"です。
ただ、女の子のカット・列車内の男女のカット・タイトルと日本語テロップ・最終カット以外はほぼ全て今週私が新たに作成した動画です。

この作品は以前私の動画サイトでストリーミング配信させていたものを基にしています。ただし今回のYouTubeへのUpのためにほとんどバラバラに再編集し直しました。先程述べた映像カットと一番最初のBGMの音だけがストリーミング配信していた頃の構成部分です。

先程ご紹介した動画は『Catastrophe』という映画の一部分という意味での作品であったわけですが、今回の動画は"Catastrophe"(破滅)という語彙から膨らませた私の感性のイメージをそれなりに忠実に具現化したという意味での作品です。

私のツイッター友達であるashさんが、あるときこのような短文をツイートされたのですね。

「世界の破滅、そろそろかな」「そうかもしれないわね」「それまでに、裏庭の壊れたテレビ、燃えないゴミに出しとかなきゃな」「そうね。それより私、破滅のとき、何着ようかしら」「この前、法事に着ていったドレス、あれでいいじゃないか」「いやだ辛気くさい」



これが今回作品をリライトする発端になったわけです。
このashさんの短文を英訳して映像化した部分が、この動画の冒頭部分であるわけです。ただ「燃えないゴミ」という部分が外国のゴミ事情も含めて英訳し切れなかったりして、多少私なりにアレンジして改変しています。

この「破滅を向える会話」に添って散りばめたスチールカットは、ほぼ私の直感的な感覚に沿って連ねています。

私たち人類総体としては破滅を迎えたことが未だに無いわけですが、個々の民族・個々の集団としての破滅というのは繰り返し迎えられてきた訳ですね。例えばネイティヴ・アメリカンの部族の全滅とか1944年のサイパンにおけるバンザイクリフとかね。
そういう破滅の経験というのは語られない。なぜなら破滅した人たちは破滅ゆえに何も記憶を残せなかったから。ただし、破滅した人間たちへの生きてる私たちのイメージの想起が破滅を間接的に語り得るかもしれない。
そういうようなことを池澤夏樹氏が『楽しい終末』って本で書いてたわけです。
だから最初は1945年の沖縄や1937年の南京だとかそういうハードなスチールをグーグル検索で探していたわけです。ですが、私の作品は歴史的な事柄を主題にしているわけではなく、破滅という語彙から発生する私的なイメージを主体にしているわけなんですよね。
ですから、ソンミ村とか人民寺院の写真も出てきますけど、ボニー&クライドだとか性交写真も挿入しました。特にセックスというのは僕の中で破滅と近いところで現れる付帯的な行動だという感じがするんですね、個人的に。

女の子と列車の男女のシークエンスで使われている音楽は、某国の現大統領を称える歌を使用しています。これは実際に動画サイト等で流されたものであり、某国でも偶像崇拝に当たると批判された歌です。いろんなバージョンがあるみたいなんですが、これを学校で子供たちに授業で歌わせたことが問題になったようです。
これは私が以前にYouTubeでダウンロードしたものをエフェクト処理したノイズ音と合成させて作ったサウンドです。
以前、某大統領を皮肉る詩を書いた時にブログにも載せました。

今回これを再使用したことについては政治的な意味合いは全くありません。
ただ、私の個人的な感性が「破滅」というイメージと符合しただけに過ぎません。それはタイトルの中に"Timeline"という言葉を用いた理由と同じ程度の符号です。
某大統領に関する歌と共に出てくる英語テロップも彼とは直接的に全く無関係のもので、これは私がツイッターを批判した隠喩的言葉の断片に過ぎません。
ですが私のイメージの中では互いに無関係なこれらが「破滅」という連想の連なりの中で互いに符合し合って関係してくるものなのです。

一言で言えば、私にとって私の存在を何らかの予感で脅かす「空気」なんですね。こういうイメージってのは。


最後の方に出てくる核爆発っぽい映像ってのはオチのつもりではないんだけれども、どうしてもこれを配置したくなってしまったんですね。
破滅のイメージのオチではなく、作品の流れのオチみたいな感じというかな。
破滅ってのは頭の中ではいろんなケース・バイ・ケースがあって、予想される多様な破滅を知ってはいるんだけど、実際に起承転結にしたら結びの一番は核ってことに見せ場として決まっちゃう。というか、破滅の終局的イメージってなかなかこういうショート・ムービーで描くことには想像力が足りないんですよね。

破滅ってのは結びで決まるんじゃなくて、初めから破滅を描いていかないといけないと思うんですよね。破滅の過程ってのは既に始まってるから破滅であって、破滅は劇的でもなく、劇的な何かの後も衰えていくのが破滅の怖さだと思うんですね。

僕なんかは全面核戦争みたいなイメージが強烈に焼き付けられて、なかなかそういう曖昧だけど確実な終わりをイメージし難いのかもしれません。

最後にピグミーの歌を持ってきたわけだけど、これが僕の中で作品における唯一の自己主張であるような気がします。

本当は核爆発カットとともに爆発音を挿入してたんですけど、さすがにベタベタなので差し替えました。
このバージョンのピグミーの声楽はかなり有名なようなのですね。ヴィム・ヴェンダースの映画『夢の涯てまでも』にも出てきますし、坂本龍一の『Tainai Kaiki』にも使われてます。



今回Upした二つの動画は自分の中ではPV的な感じで作ったんだけど、全くPVではないんですよね。
こういう類の表現的な小品はなかなか思いついて作れるものではないんですね、自分としては。
長編映画の一部分だからこそ作れたものであって。
でもこういうのも作れるとなかなか面白い。

またこういうのが作れたらなと思っていますが、なかなか難しそうです。




Feb 22, 2010

動画をアップロードしました。#4

最近デジカメを生まれて初めて買った(2650円の中古)Hemakovichです。
また動画をアップロードしましたのでお知らせします。
たぶん多くの方にはほぼ未公開映像です。
今回は2作品をUPしました。
まずはこちら。







出来ればYouTubeの広い画面でご鑑賞下さい。特にこの作品は縦幅が小さいので。 
こちらをクリック

YouTubeでご鑑賞される場合はスクリーン下部に「480p」とか「360p」というボタンがありますが、PCで通常のブロードバンド(ADSLなど)でご鑑賞される場合は「480p」にして置いてください。


これは1998年頃撮影した動画で、大学の先輩と青春18切符を使って福井県のあわら市(だったかな?)の芦原温泉に旅行した時に撮った映像です。
温泉のすぐ近くに海岸があって、海岸沿いを数十分くらい歩くと自殺の名所の東尋坊があり、なにをとち狂ったか日暮れ時に出かけました。
2002年頃にパソコンで編集しました。PC編集作品としては前回紹介した "For wedding ceremonies" の次に編集したものです。二、三日で完成したように思います。
某アーティストの某曲を使用しています(YouTubeで再生すれば分かります)。

前回の初のノンリニア編集作品はカットのみ・エフェクトなしでしたが、今回はカットの繋ぎ目に白い画面をサブリミナルに挿入して、カットが変る時にほんの少し変化が感じる程度の細工をしてます。
それに画像にお絵描きをしたりもしてます。あまり意味がないですが。
それと、音楽の流れと映像のカットがシンクロするように編集しています。あまり変化の乏しい映像なので分かり難いかもしれませんが、音楽の流れが変る時にカットを切ったりしています。
この映像もS-VHSのアナログテープからのものです。

個人的には自分が作った映像の中で最も苦手で好みじゃない作品です。
地味だし、変化に乏しいし、暗いし。

僕の作品の中で「これが一番好き」と言ってくれる方は他のを評価してくれなかったりする傾向が多かったりします。

なぜこれを作ったのか自分でも動機がよく分からないのですが、多分コーネリアスのこの曲を使いたくて、当時の自分がこの曲に最も当てはまるソースがこの映像だったのでしょう。
このアルバムが収録されているアルバムを聴いて以来、しばらくの間、自然ばかり撮影してました。水の流れや木の揺らぎを接写して10分以上も撮影したりしていました。その頃はDVカメラで撮影していたんだけど、まだ当時の映像を使った作品はありません。いずれ何かに使いたいのですが。
コーネリアスのこの曲を収録したアルバムの批評についてはこちらを読んでください。

僕は初めてビデオ映像を撮り始めた時、一番重視したのはコントラストなんですね。明るさでも色合いでも。
"For wedding ceremonies" のように極端にコントラストが高いのが多いんですが、今回の作品はコントラストが出来る限り低くなるように撮影してます。日没前なのか日暮れ時なのか分からないようなカットもありますし、彩度が極端に低くてモノクロに近い映像もありますが、これらは全て撮影の時にカメラのシャッタースピードや色バランスを操作して撮影されています。


今回YouTubeにUPした作品は、実は以前から僕の動画サイト(現在トップページ以外リンク切れ)でストリーミング再生させてたんですね。
リンクをクリックしたらWindows Media PlayerとかReal Playerで再生されたりするやつですね。
その時はYouTubeみたいに自分の好きな曲に自分で動画を入れるような行為はおおっぴらでもなかったので、音楽素材を貸してくれるようなサイトから曲を借りて、この映像をお見せしていたわけなんですね。


それで次にご紹介するのがこの動画ですが。







YouTubeで見るにはこちら


この動画で流れている曲を使って、以前作品を紹介してたんですね。
ですが、今回UPしたこの作品は動画も再編集してリライトしました。例によって一夜漬け編集ですが。

音楽は void productions さんからお借りしました。ありがとうございます! すっごい事後報告ですが……。

お借りした音楽は十数秒ぐらいのフレーズなんですが、それをミニマル(反復)再生させました。ただ、僕が勝手にエコーやデュレーションをかけてます。

この旅行映像はもしかしたらコーネリアスよりもこちらの曲の方が雰囲気が近いかもしれません。
今回再編集した時もより音楽に近い感じを念頭においてリライトしました。
音楽の雰囲気がなんとなく時間の感覚の前後の記憶を忘れさせるような、そういう雰囲気がするので、時間経過の前後が錯綜するような編集を意識しました。
生まれて初めて「スローモーション」という編集をしました。実際よりも再生時間を遅くするわけですが、速くするよりも動画が安定しにくいですね。

僕が好きな映像作家でジョナス・メカスという人がいます。その人はもともとリトアニア出身の詩人で、アメリカに移住してから映画作家になるんだけど、詩も書く僕にはなんとなく親近感が沸くのですが。
昔、そのメカスがヴェルヴェット・アンダーグラウンドのビデオや、アンディ・ウォーホルに関する映像を作ったりした作品集を友人に見せてもらったことがあるのです。その時に、メカスがウォーホルの死をイメージして作ったビデオがあって、そのイメージがすごく頭に残っていて、それを思い出すように今回UPした映像を編集しました。


蛇足ですが、今回UPしたこれらの動画には僕自身の映像や写真も使いました。

僕の中では、スケッチブックのクロッキーみたいな作品でしょうか。

YouTubeでここ最近たくさんアップロードしていますが、詩の方もそろそろいろいろ考えたいと思っています。
ただ詩を書くのと、動画を作るのって、頭のチャンネルが違う感じなのですね。
どちらかにスイッチが入ると切り替えがなかなか難しい。

ただ、なにかを作ってることって、とても居心地がいいです。
こうやってブログを更新することも含めて。




Feb 19, 2010

動画をアップロードしました。#3

最近ビル・エヴァンスにすっかりハマってJazzに傾倒しているHemakovichです。
また動画をアップロードしたのでお知らせします。
しかし今回も新作ではないのですが。




出来ればYouTubeの画面でご鑑賞下さい。こちらをクリック
YouTubeでご鑑賞される場合はスクリーン下部に「480p」とか「360p」というボタンがありますが、PCで通常のブロードバンド(ADSLなど)でご鑑賞される場合は「480p」にして置いてください。


今回の動画はYouTubeのアップロード上限ギリギリの10分弱のものです。
既に僕がUPしている動画に "Perspective of life" "Perspective of life - Catastrophes ver" というのがあります。
これは元々、YouTubeでのMusic Videoコンテストに出品したものなんですが、前者が実際に応募に出したバージョン、後者が応募に出さなかったバージョンなんですね。
どちらもそれなりに気に入っていて、自分のプライベート用のDVDに収録したんだけど、DVDに収録するために二つを繋ぎ合わせた形のビデオを今回そのままUPしたんですね。

ここ二、三日、過去の動画をUPしていてYouTubeに高画質の動画をUPするコツみたいなのが分かってきたんですね。
だから現段階で僕のPV風作品では一番気に入っている“Perspective of life”を改めてより高画質にUPしてみたくなったのです。
でもただ同じものをUPするのは面白くないし、二つの作品を別々にUPするのは二度手間だし、だったらDVDに収録したものを上げればいいんじゃないかと思ったんですね。
二つの作品を繋いでDVDにしたときに、作品のプロローグ・エピローグ的なシーンをちょっとだけ付け加えてみました。今回UPしたものにそれを見ることが出来ます。


ではどうやったら画質を向上させることが出来るのか。
ちょっと備忘録的な専門的な話になるので、興味がなかったら読み飛ばしてください。

まず撮影した段階の解像度をいじらない。僕の場合DVカメラでほとんどの動画を撮影したから720x480になるんだけど、一時期「YouTubeに最適な動画の解像度は640x480だ」という情報があったので、解像度を変換してUPしてたんですね。だからエフェクトの多い複雑なカットとか静止画にノイズが押し込められてたんですね。これを今回は改めて720x480にしました。
それと動画にはビットレートという動画を再生するときの動きのデータみたいなのがあるんですが、僕はこの数値が「大きいほど高画質になる」と思い込んでいたんですね。実際は動画はそれぞれビットレートの値が最初から決まっているんですね。これを無理に変更すると劣化する。だから「元の動画の持つビットレートの値を変更しない」ということなんですね。
あと、フォーマットもいじらないということ。フォーマットというのは圧縮技術のことなんですが、撮影した動画をパソコンで切り貼り編集して一つの作品に繋ぎ合せる時にどういうフォーマットを使うかということなんですね。
僕は今まで圧縮を全くかけずに動画を生成していました。「圧縮をしないことが高画質の条件」と思い込んでたんですね。
でも実際にはたとえばDVテープのカメラで撮影した動画はパソコンに取り込まれたときにDVフォーマットという圧縮をかけられている。それを切り貼りして最終的に一つの動画を生成するときも同じ圧縮をかけた方がどうやら画質がいいみたいなんですね。だからDVフォーマットで撮影された動画をパソコンで編集したあとは同じようにDVフォーマットで圧縮するべきなんですね。

以上のことを守った上で、拡張子がMPG4、コーデックがh264の動画に変換してファイルサイズを小さくして動きを滑らかにする。そうするとどうやらYouTubeに投稿した際の画質の劣化が抑えられるみたいなのです。

以上のことはYouTubeのヘルプ動画のアップロードを最適化するにも書かれています。


では実際にUPしてみてどうだったかというと、確かに画質は向上しました。
ただ、作者じゃないと分かりづらいかもしれない。
まず、画面の横幅が増えたので作品が広く感じられるようになった。
それとノイズが画期的に減りました。
動きが早い場面なんかは前と同じようにしか感じられないんだけど、静止画とかエフェクトを何重にも重ねたカットはノイズの軽減がはっきり分かります。
例えば、音楽が始まるところの最初の青い光線が走るところとか。あれは見比べて貰えば誰でもノイズが減ったのがお分かり頂けると思う。
それとキウイとかカエルとか犬の静止画のカット。それに小さい子供の表情なんかも前よりクリアーになってる。

こういう僅かな画質の向上でもそれがやりたくてアップロードをやり直すのは作者的自己満足に過ぎないと思うんですけどね。

でもまあそういうものなんですけどね。



この作品のきっかけとなったMusic Videoコンテストをやってたとき、僕は1980年代のアメリカのTV映画「ザ・デイ・アフター」を何回も見てたんですよね。
それでこの動画で使ってる曲がCD発売されたのは8月6日。歌詞はすごく多義的なものだけど、曲名がなんとなく「核のヒロシマ」っぽかったんですね。

それでなんとなく、核だとかヒロシマだとか世界の終末だとか、そういうニュアンスが作品に影響されたわけなんですね、モロなくらいに。




変らない日常の連続が唐突に終わるというか、終わった直後に人々のそれまでの営みが物悲しくも鮮やかな色彩を帯びるというか。だから人の動きや人々の目に映るもの全ての感触が「唐突な終わり」を空想する延長上で、かけがえなく愛しげに目に飛び込んでくるというか。

唐突な終わりっていう考え方はいまでも世界はそのリスクを背負っているにも拘らず、過去のものとして忘却しているようなんですけど、1980年代の冷戦時代、かつてなく最高潮に全面核戦争の危機がリアルタイムに進んでいたときは平凡な現実として人々は戦慄していたと思うんですよ。少なくとも僕はそうだった。
小学校低学年で世界情勢の事なんか何もかも無知だったけど、冷戦を子供なりに皮膚から体感していたあの感触はよく覚えている。核戦争の危機を描いたTV番組もたくさんあったし、街角に張ってあった「ザ・デイ・アフター」の映画ポスターの奇怪なキノコ雲のイメージは、全面戦争の同時的な不安を子供の心にも十分に叩きつけたような、そういう時代でした。

このPVを作った頃というのは僕は個人的に過去の「唐突な終わり」の感覚を懐かしく思い出していたわけだけど、でも終わりの危機的状況は何も変ったわけではない。世界情勢は変ってもむしろ危機的なテクノロジーは80年代よりも飛躍的に進化しているわけですから。

核というのは非常に分かりやすいメタファーだけど、80年代と比べれば人々は冷戦が終わっただけで恐怖が薄まっている。敵地先制攻撃論なんていう考え方が現れたりする。冷戦時代の相互確証破壊の思考を知ってる人間にはとんでもない発想なわけだけれども。

だから核をメタファーにして「唐突な終わり」と「人々の平凡な営みへの非凡な破滅」みたいなことを表現するのは愚直すぎるような気もします。飽きられてるというか。
映画でもそうでしょう。『アルマゲドン』とか『ディープ・インパクト』だとか『デイ・アフター・トゥモロー』だとか、散々に黙示録的な光景を娯楽スペクタルにしてきたわけでしょう。

それでも僕が原爆ドームだとか核爆発だとかそういうイメージを入れたのは僕の自己満足に過ぎないと思うけれどもね。



80年代の冷戦時代の核戦争映画というのは、どれもこれも人々が「愚弄な自分たち」を当事者として描いていたと思う。
自業自得の怠惰の果てに至極当然の結果としてカタストロフィがある、どれもこれも自分たちが愚弄で自分たちが招いた当たり前にありふれた終わり、そういう当事者としての苦しさを嘔吐するかのように『ザ・デイ・アフター』みたいな映画があったと思う。
それが20年ぐらい経って、タイトルが似ていても『デイ・アフター・トゥモロー』みたいな映画にあるのは全部虚構の世界の他者の出来事のように描かれたカタストロフィへの享楽的嗜好ですよ。破滅スペクタルを他人事のように眺める視線ですよ。ローマの街を放火して眺めるネロのように、愚弄どころか暗愚ですね。僕はああいう映画を作る人間の偽倫理的な詭弁を絶対に信用しない。




今となっては愚弄を自覚できた時代の恐怖が懐かしいのです。
なぜなら僕らは愚弄だけれども愚弄に対して善良であった。
だから世界の終わりへの感覚に安易なハッピーエンドなど僕らは許さなかった。


そういう倫理性が懐かしいのです。

僕が本当に言いたかったことはそれなのかもしれません。

だからこそ、平凡なメタファーでしか世界を思考できなかった。


人々の何気なく愛しげな営みを映す以上は、「唐突かもしれない終わり」の予感を外すことはできないのです。

だからこそ、僕らの時代は並存する世界の大きな暗さや悲しみを他者のように思考することは出来ないのです。

集団の無意識に浸る破局的な不幸や不安への予感に支えられての、僕らの時代の僕たちの今の幸福だから。




また動画を一件アップロードしました。

また二日続けて動画をアップロードしました。
といっても、厳密には新しい作品ではないのですが。





大きな画面のYouTubeのサイトで見てください。こちらをクリック


昨日UPした動画 “For wedding ceremonies” を二日ほど前に一夜漬けで再編集したものです。
動画の長さを短くして、カットのコマ数を細かく刻んで、サントラを変更して、作品のイントロ部分とエンディングも変更しました。

なんというか、昨日UPした初のノンリニア編集の動画が作品的にあまりにも稚拙に思えたんですね。
まあそれはそれでいいんだけど、せっかくの素材だからもう少しなんとかできないかと思いまして。
それで前作をUPした直後にいろいろと弄くりまわしてみました。

実際にUPしてみたら、二つの動画とも、そんなに遜色ないように思うんですね。

エフェクトをいっぱい加えると確かに魔法みたいで面白いし、表現力が増すように思えるんですが、画質の精度はやっぱり確実に落とすと思うんですね。
何もエフェクトしない、カットの切り貼りだけというのはどういう手順を踏むかでいろいろな面白い見せ方が出来ると思うし、画質も綺麗に残る。

それとこの作品の元々の映像は、前回UPしたものを見て頂ければお分かり頂けると思うんですが、撮影をした時点であまり綺麗な画質ではないんですね。

撮影したビデオカメラはS-VHSのビクター製なんですけど、ビクターのビデオカメラというのは結構ユニークで撮影する段階から画質をいろんな多くのバリエーションで撮れるようになってるんです。白黒にしたりストロボ撮影したりとか。
そういうバリエーションの多さでは他者を圧倒してるんですね。

この映像は夜間に撮影したものだから、人物の顔をはっきり映し出すためにシャッター速度が遅いように撮っているんですね。だから光が少ない場所でもライトを使ったりしないで、カメラ一つでロケーションできる。

なんとなくこの映像はところどころ「ビデオっぽくない」画質だと思いませんか。まるで映画のフィルムみたいな感触の画質を感じて頂けるでしょうか。
ビデオ特有のインターレースを排除して、ちょっとフィルムっぽい映像の撮影が出来る。こういうのはビクターのビデオカメラ特有なんですよね。

僕は自主映画を初めて作った時は大学生にとっては高価な8ミリフィルムを使ってました。
でもフィルムでは作り続けられないからビデオに切り替えたんだけど、真っ先に映画みたいな画像も撮れるビクターに飛びつきました。
ただ、撮影の時点で画質を決めてしまうと後から編集する時に切り替えられないわけなんですね。
今だったらどんなビデオカメラで撮影してもパソコンの編集ソフトで画質をいろいろ切り替えられるんですけど。
僕がビデオ撮影を始めた頃はまだアナログ編集機しかなく、そういう微妙な画質の変更ができる性能はなかったので、当時は仕方なかったのですが。

今回再編集した映像はところどころに静止画を挿入しているんですが、それらは全部パソコンを使い始めた頃にしょぼい加工ソフトで作ったものです。今だったらフォトショップなんかでもっとマシな静止画を造れると思うんですが。

音楽も変更していますが、同じフレンチポップの別のアーティストのものを使いました。
ですが曲を変更した途端に著作権の問題にぶつかって、一瞬のうちに公開ブロックをかけられました。それで今回の動画は広告が表示されるようになりました。公開ブロックというのは「ある一定の地域では動画を視聴できない」措置を取られることなんですが、YouTubeを使い始めてこんなのは初めて。
だからこの動画はドイツでは見ることが出来ないそうです。
ドイツに知り合いは居ないからいいんですが。

これからも過去に作った未公開の動画をぼちぼちアップロードしていこうと思うんですが、日本のアーティストの楽曲を使ったものもあるので、場合によっては公開できないかもしれません。音楽を変えなきゃいけなくなるのかな。



ある人がこの動画を、
「アメリカのニューシネマなんかで悲劇の前に挿入されるシークエンスのようだ」と言いました。


そういう風に考えたことはなかったので勉強になりました。




Feb 17, 2010

動画をアップロードしました。

動画を二件、アップロードしました。


出来ればYouTubeの大きな画面で見てください。こちらをクリック


これは大学時代の友人の結婚式の二次会で、プロジェクター上映するために撮影した動画です。
1998年頃に撮影しました。

二次会では別に編集したものを上映しましたが、この作品は後に2002年頃に改めて再編集したものです。
パソコンを購入してから初めてノンリニア編集に挑戦して作ったものです。
それまでは以前デパートの電化製品売り場のシュールームなんかにあった編集室をレンタルして、家から通って編集してたんですね。VHSや8ミリテープなんかのアナログテープを使ってダビング編集していたわけです。

この動画を撮影した翌年頃にMiniDVを使ったデジタルビデオカメラが本格的に普及していって、そういったレンタル編集室みたいなのは姿を消していきました。それで代わりにPCを使ったデジタル編集が主流になったわけです。
VHSなどアナログテープを使った編集はダビングを重ねることで映像の劣化が著しかったんですね。
でもノンリニア編集だとダビングはしなくて済むし、細かい細部まで素人でもいじることが出来る。なにより家に居ながら編集できるようになったのが画期的だった。

この作品は元の映像はS-VHSのビデオカメラで撮影したものをMiniDVで録画してPCに取り込んで編集しました。
確か二、三日で完成させたと思います。エフェクトは一切無し、カット編集のみです(作品の前後はもっと後になってエフェクトした映像を付け足しました)。

これを作ってから、今日に至るまで音楽の添え物みたいなPV風の動画を幾つか作ってきました。
なぜPVなのかというと、まあ練習になるわけで、僕が作ったPV風のビデオは全て、大学時代に作った自主映画をデジタルで再編集するための予備練習みたいなつもりで作ってきました。

この動画はその練習一作目のようなものです。あまり目立ったことはしていません。

音楽はあの有名なフレンチポップを使用しました。当時、CDをフリーマーケットで300円ぐらいで買いました。
アナログビデオのノイズが画面下部に流れています。
画質は僕のPCのハードディスクにあるファイルとほとんど変りません。DVDで液晶テレビ画面で見ると全く劣りますが。

画面に移っている(出演している)夫婦とは現在音信不通です。どこでどうしているのやら。
二人に借りて返したビデオカメラに、僕が未製作の自主映画のために撮影した大事なテープを入れたまま返してしまいました。
今となってはどうしようもありません。

このビデオはvimeoという動画サイトにもアップしてます。こちら






もう一つアップロードした動画はこれ。




YouTubeで観るにはこちらをクリック


僕のこのブログの過去の日記に同じ動画があるんですけど、別のアカウントで曲名なしでUPしていました。
今回僕の正式なアカウントに再アップしました。

有名なジャズのスタンダードナンバーで、静止画だけ僕の作品です。

すごく大好きな曲ですが、誰の曲とか詳しいことを書くと即座にYouTubeから削除されそうなので省きます。
ある映画のサントラだった曲です。YouTubeも含めて動画サイトで他にアップしているのは見たことがないです。
僕はこの曲名と歌手名を検索して数ページGoogleを開いてたら、たまたまこの曲のmpg3をダウンロードできました。

このところ頻繁にGoogleの検索ロボットが僕のブログにも徘徊しているんですね。
なのでこの曲の詳細をお知りになりたい方はメールを下さい。


なお、僕が過去にアップロードしたYouTubeの動画はこちらから見えます。
hemakovichさんのチャンネル


YouTubeも昔と比べればだいぶ仕様が変りました。

以前は本当に画質が悪かったし、アップロードにも時間がかかったし、ニコニコ動画やvimeoには敵わなかった印象があります。
作り手的には敬遠したいサイトでした。
今では相当に画質の点でも改善が施されました。
同時に「どうやったら高画質の動画を見せられるか」という基準も変ったので、過去に遡るほど昔にアップした動画は画質が悪かったりと、使いづらさもあるのですが。


基本的にはこのブログは詩しか書かないのだけど、たまにはこういうのもいいですね。