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headbaner

Mar 5, 2010

動画をアップロードしました。#5

最近Facebookでインドネシア人との国際親善に励んでいるHemakovichです。
また動画をYouTubeにアップロードしたのでお知らせします。
今回は日を置いてUpした動画2作分です。
以前の私のストリーミングサイトをご存知の方なら見て頂いたこともあると思いますし、
私の全動画に頻繁に使い回しているシーンが多く含まれています。

まずはこちら。





ご面倒でなければYouTubeの広い画面でご鑑賞下さい。
こちらをクリック

YouTubeでご鑑賞される場合はスクリーン下部に「480p」とか「360p」というボタンがありますが、PCで通常のブロードバンド(ADSLなど)でご鑑賞される場合は「480p」にしておいてください。


この動画は1995年から1997年の間に撮影したものです。PCでのデジタル編集を行ったのは2002年です。
画質はS-VHSからのものですが、字幕の画面などはPCで直接製作しました。

僕は大学生だった1997年頃に初めての自主制作長編のビデオ映画を作りました(それ以前に8ミリフィルムで長編を作っていますが)。その映画のタイトルが『Catastrophe カタストロフィ』。この動画はそのビデオ映画から抜き出したものであり、映画のタイトルが現れる前の冒頭部分のシーンの一部であり、それを編集したものです。

2000年代初頭にパソコンを買ってノンリニア編集が出来る環境を整えた時、僕はアナログビデオによるかつての自主制作映画を全カット全シーンをデジタル化して新たに一から再編集して、作品のデジタル化を行おうと考えていました。
そのために幾つかのPV風のビデオ作品をノンリニア編集の練習用に製作しました。その幾つかを既にYouTubeで皆さんにお見せした訳です。
幾つかのPVを製作後にようやく自主制作長編の再編集に取り掛かったわけですが、プライベートな諸事情により頓挫して休止していました。
今回Upした動画は頓挫する前に出来上がっていた再編集の一部です。つまりタイトルが現れる部分と後の数分程度まで再編集が仕上がっていたわけです。

YouTubeにUpするにあたって、動画冒頭の外国人の女性のカットは新たに作って付け加えました。
また作品内でナレーションのような音声がありますが、これは僕がポエトリーリーディングしているんですが、再生時間を早くしたりエフェクトを施しました(だから実際の声とは結構違います)。
ナレーションが語られる部分でBGMが流れますが、これは今回付け加えたもので、ピグミー族の声楽です。エコーなどを効かせて音域を広げてあります。

この女の子が走り回ってる映像ですが、僕は今までに作ったPV作品にかなり頻繁に使いまわしています。Perspective of life などがその一例ですね。
この映像は元々Hi8かなにかの8ミリビデオテープで撮影したもので、それを暗闇のTV画面に再生させてS-VHSのカメラで高感度撮影を行ったもので、いわば手動でエフェクトしたものです。
『Catastrophe』を公園でロケ撮影していたとき、たまたまそこで遊んでいて居合わせた女の子を偶然撮影した映像です。
この女の子が走り回って喜んでいるのは生まれて初めて「自分の影」に気づいたからなんですね。走ったり身体をくねらせたりどんな動きをしても自分の影に反映されることを知って喜んでいた、という光景なのです。付き添っていたこの子のお祖母さんがそう教えてくれたのですが。この子も今は中高生ぐらいの女性になっているわけですね。

また列車の車両内みたいなカットの場面に出てくる男性は、以前ご紹介した "For wedding ceremonies" に出てくる男性と同一人物です。大学時代の友人ですが、この人が私の自主制作映画『Catastrophe』の主演なのですね。8ミリフィルムで作った処女長編にも主演で出てもらいました。
また相方の女性も主演であるわけなのですが、この人を撮った映像も Perspective of life を始め、いろんな作品に引用してます。なんていうか、個人的にフォトジェニックなルックスをなさっていたんですね。

なお私がナレーションで使った詩はリチャード・ブローティガンの一篇です。少し改変したかもしれませんがほぼ同じ訳詩を朗読しています。

余談ながら。
この作品はPV風の練習ビデオ作品を4~5作品作り終えた頃に編集しているのですが、単なるカット編集だけでなく、映像やサウンドのエフェクトや、アニメーションっぽい動画製作も出来るようになっていました。当初はVaioのオモチャみたいな編集ソフトで始まっていたんですが、これはAdobeのAfter Effectを使っています。これはかなりの部分で映像表現に飛躍をもたらしました。ただ僕が使っていたのはwindows95ぐらいのバージョンでしたが……。



それで次にご紹介するのがこの動画ですが。




YouTubeで見るにはこちら


ご覧頂ければお分かりになられると思いますが、この動画のソースは先程ご紹介した"catastrophe"です。
ただ、女の子のカット・列車内の男女のカット・タイトルと日本語テロップ・最終カット以外はほぼ全て今週私が新たに作成した動画です。

この作品は以前私の動画サイトでストリーミング配信させていたものを基にしています。ただし今回のYouTubeへのUpのためにほとんどバラバラに再編集し直しました。先程述べた映像カットと一番最初のBGMの音だけがストリーミング配信していた頃の構成部分です。

先程ご紹介した動画は『Catastrophe』という映画の一部分という意味での作品であったわけですが、今回の動画は"Catastrophe"(破滅)という語彙から膨らませた私の感性のイメージをそれなりに忠実に具現化したという意味での作品です。

私のツイッター友達であるashさんが、あるときこのような短文をツイートされたのですね。

「世界の破滅、そろそろかな」「そうかもしれないわね」「それまでに、裏庭の壊れたテレビ、燃えないゴミに出しとかなきゃな」「そうね。それより私、破滅のとき、何着ようかしら」「この前、法事に着ていったドレス、あれでいいじゃないか」「いやだ辛気くさい」



これが今回作品をリライトする発端になったわけです。
このashさんの短文を英訳して映像化した部分が、この動画の冒頭部分であるわけです。ただ「燃えないゴミ」という部分が外国のゴミ事情も含めて英訳し切れなかったりして、多少私なりにアレンジして改変しています。

この「破滅を向える会話」に添って散りばめたスチールカットは、ほぼ私の直感的な感覚に沿って連ねています。

私たち人類総体としては破滅を迎えたことが未だに無いわけですが、個々の民族・個々の集団としての破滅というのは繰り返し迎えられてきた訳ですね。例えばネイティヴ・アメリカンの部族の全滅とか1944年のサイパンにおけるバンザイクリフとかね。
そういう破滅の経験というのは語られない。なぜなら破滅した人たちは破滅ゆえに何も記憶を残せなかったから。ただし、破滅した人間たちへの生きてる私たちのイメージの想起が破滅を間接的に語り得るかもしれない。
そういうようなことを池澤夏樹氏が『楽しい終末』って本で書いてたわけです。
だから最初は1945年の沖縄や1937年の南京だとかそういうハードなスチールをグーグル検索で探していたわけです。ですが、私の作品は歴史的な事柄を主題にしているわけではなく、破滅という語彙から発生する私的なイメージを主体にしているわけなんですよね。
ですから、ソンミ村とか人民寺院の写真も出てきますけど、ボニー&クライドだとか性交写真も挿入しました。特にセックスというのは僕の中で破滅と近いところで現れる付帯的な行動だという感じがするんですね、個人的に。

女の子と列車の男女のシークエンスで使われている音楽は、某国の現大統領を称える歌を使用しています。これは実際に動画サイト等で流されたものであり、某国でも偶像崇拝に当たると批判された歌です。いろんなバージョンがあるみたいなんですが、これを学校で子供たちに授業で歌わせたことが問題になったようです。
これは私が以前にYouTubeでダウンロードしたものをエフェクト処理したノイズ音と合成させて作ったサウンドです。
以前、某大統領を皮肉る詩を書いた時にブログにも載せました。

今回これを再使用したことについては政治的な意味合いは全くありません。
ただ、私の個人的な感性が「破滅」というイメージと符合しただけに過ぎません。それはタイトルの中に"Timeline"という言葉を用いた理由と同じ程度の符号です。
某大統領に関する歌と共に出てくる英語テロップも彼とは直接的に全く無関係のもので、これは私がツイッターを批判した隠喩的言葉の断片に過ぎません。
ですが私のイメージの中では互いに無関係なこれらが「破滅」という連想の連なりの中で互いに符合し合って関係してくるものなのです。

一言で言えば、私にとって私の存在を何らかの予感で脅かす「空気」なんですね。こういうイメージってのは。


最後の方に出てくる核爆発っぽい映像ってのはオチのつもりではないんだけれども、どうしてもこれを配置したくなってしまったんですね。
破滅のイメージのオチではなく、作品の流れのオチみたいな感じというかな。
破滅ってのは頭の中ではいろんなケース・バイ・ケースがあって、予想される多様な破滅を知ってはいるんだけど、実際に起承転結にしたら結びの一番は核ってことに見せ場として決まっちゃう。というか、破滅の終局的イメージってなかなかこういうショート・ムービーで描くことには想像力が足りないんですよね。

破滅ってのは結びで決まるんじゃなくて、初めから破滅を描いていかないといけないと思うんですよね。破滅の過程ってのは既に始まってるから破滅であって、破滅は劇的でもなく、劇的な何かの後も衰えていくのが破滅の怖さだと思うんですね。

僕なんかは全面核戦争みたいなイメージが強烈に焼き付けられて、なかなかそういう曖昧だけど確実な終わりをイメージし難いのかもしれません。

最後にピグミーの歌を持ってきたわけだけど、これが僕の中で作品における唯一の自己主張であるような気がします。

本当は核爆発カットとともに爆発音を挿入してたんですけど、さすがにベタベタなので差し替えました。
このバージョンのピグミーの声楽はかなり有名なようなのですね。ヴィム・ヴェンダースの映画『夢の涯てまでも』にも出てきますし、坂本龍一の『Tainai Kaiki』にも使われてます。



今回Upした二つの動画は自分の中ではPV的な感じで作ったんだけど、全くPVではないんですよね。
こういう類の表現的な小品はなかなか思いついて作れるものではないんですね、自分としては。
長編映画の一部分だからこそ作れたものであって。
でもこういうのも作れるとなかなか面白い。

またこういうのが作れたらなと思っていますが、なかなか難しそうです。




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